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覚書

2009.12.31

突然 子宮頸管無力症になり、
妊娠20週で おなかの赤ちゃんを 天国に帰しました。
辛いです。
寂しいです。

以下 覚書です。
覚書

2009・12・29

AM9:00
  通常出勤後、トイレにて少量の出血を確認
  胎動、おなかの張りを確認すると、異常ないので、様子を見る。

AM10:30
  再びトイレへ
  ドロっとした出血を確認 あわてて病院へ

AM11:50
  受診 腹部エコーは異常なし
  膣部エコーにより
  子宮口全開との診断
  すでにお産が始まっている状態との医師の説明


■胎児は20週 生まれても400gを切るので、生存は不可能
■上記の理由で、NICUのある救急病院は転院を拒否するであろう
■このまま放っておけば、今日中にも出産
■万が一 NICU受け入れ可能な22週まで 持ったとしても
 子供には障害が残る


上記の説明をフラフラになりながら 聞く。


PMOO:20
  パパ病院到着
  医師より同じ説明を受ける。

PM01:00
  陣痛止め、感染止めの点滴をし、絶対安静にて入院

眠れない夜の始まり。


2009・12・30

 一日中の安静

PM04:00
  櫻がママの大好きなフリージアの花を持って お見舞いに来てくれる。
  『ママが帰るまで、パパと頑張る』 とお約束してくれるも、
   帰り際、寂しくて涙目になる。

PM09:30
  元、市民病院NICU勤務の看護師がベッドにやってくる。

■今回のお産はあきらめるしかないであろう。という事。
■障害児とともに生きていく生活の事。
■櫻との事
■看護師が昔、350gの胎児を取り上げたこと。

 時間も忘れて 二人で話し合う。



私には、障害児を持ついとこがいる。
その子は500gで赤ちゃんを産んでしまった。
赤ちゃんは今幸い元気に3歳になっている。
が、、、いまだに 食事は自力で摂れず、管が入っている。
そんな 事実をしっている私。

1秒たりとも 考えない時間がないという 丸二日間

私が 答えを出した瞬間に
 ”おなかの赤ちゃんが天国に行く”
もしくは
  ”おなかの赤ちゃんを障害児にしてしまう” という 二者択一の事実。


止まらない涙
止まらない胎動
止まらない思考


待ちに待った 第二子
櫻が待ち焦がれていた 兄弟


櫻の
 『赤ちゃんを元気に産んでほしい』という 涙
櫻の
 『ママには無事に早く元気に帰ってきてほしい』 という涙


おなかの中の子は どう思っているんだろう?
ママは 僕を殺した
ママは 僕を障害児にした

私はどちらの道を選んでも
 一生涯 後悔なく生きていけるのだろうか?


堂々めぐりな思考

PM10:30
  看護師に、明日 意志に面談を希望する旨をつたえる。



2009・12・31

AM08:30
  助産師に 先生が10時頃来る旨を聞く

AM10:00
  医師との面談
  子宮口が閉じている奇跡は起こっていない。
  胎動を感じているのに、この子をママの意思だけで 天国に送るのは
  出来ない。

  でも、障害児として生きさせる 勇気もない。
  と 伝える。


  医師からは、障害児としてでも、生き残せる最低ラインの22週まで
  私の体を持たせるのは 不可能だと告げられる。


AM10:30
  「産みます」 と 医師に告げる。

   私は 「今、おなかの赤ちゃん、動いているこの赤ちゃんを殺します」 と
   言ったということだ。

   悪魔だ。


   流れている涙も偽善者の振りなのかもしれないとさえ 思えてしまう。

AM10:40
   最終確認の後、張り止めの点滴投与を止める。




AM10:50
   オペは嫌だ。せめて、自力で自然分娩で 赤ちゃんをこの世に出してあげたい。
   陣痛促進剤多目の自然分娩を希望すると 伝える。
   陣痛促進剤投与


AM11:00
   パパと櫻がお見舞いにやってくる。
   三人でLDRに向かう。
   パパはすでに、私の決断を了解済み。
   櫻は。。。。。
   櫻はいつか 理解してくれるだろうか。
   「おなかの赤ちゃんは 病気で天国に行くことになった、また帰って来てくれると
    ママは信じているから、櫻も信じて待っていてほしい。
    今は、一度、お空に返すから、わかってほしい。」 と告げる。


PM00:00
   本格的陣痛が始まる。
   痛みと寒気で 耐え難いが、耐える、

PM00:30
   すでに胎動は感じない。
   助産師も何も言わない。
   一人で、産もう。
   だれの合図も、助けもなく、自分が思ったときに、
   赤ちゃんを出してあげようと 決意する。

PM01:05
   第二子誕生  男児
   25センチ  380g
   産声はあげない。


PM02:00
   パパだけが再度来院。
   二人で赤ちゃんと対面する。
   「パパと櫻そっくりの 男の子だね。。。。。」 と告げる。

   思ったより、背が高い。
   手も足もしっかりしている。
   これでも この子は 助けられない程小さいというのか?と
   悔し涙。


以上が 第二子お産の経緯となります。



いつ、この悲しみに負けないで 笑顔が出せる日がくるのでしょうか?
再び、櫻に兄弟の出来る日が来るのでしょうか?
私は、やっぱり 赤ちゃんを見捨てたのでしょうか?


眠れない夜は 続いています。
でも、これも すべて 私が背負わなければならない事なのだという
事は理解しています。

いつか、いつか、いつかでいいので、
心底笑える日がきますように。
その日まで、とりあえず、家族三人でがんばろう。
泣いてもいいから がんばろう。

櫻が今 ここにいる幸せと奇跡。
パパがいてくれる安心。
無言だけど励ましてくれている 家族に感謝です。



最後に、
私の診断は 頸管無力症でした。
突発です。

ときどきそういう事もあるのよ。。。
そういう人もいるのよ。。。
だから、自分を責めないで、
決めたことは 決して後悔しないで

と 助産師さんが言いました。


けれど、後悔しないなんて事は 無理です。
どうして私だけが?と 思うのです。
その感情は 仕方が無いのです。


読んでくださった方がいらっしゃったら ありがとうございました。
私の決断には、賛否両論あるでしょうね。

第二子がおなかに居てくれたことの証明に
ここにこれを書きました。
あかちゃん ありがとう ごめんね。



たかたん。






   
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テーマ:マタニティライフ - ジャンル:育児





このコメントは管理人のみ閲覧できます
【2010/01/05 00:07:29 】 | #[ 編集]
このコメントは管理人のみ閲覧できます
【2010/01/06 12:58:16 】 | #[ 編集]
このコメントは管理人のみ閲覧できます
【2010/01/09 17:05:24 】 | #[ 編集]
このコメントは管理人のみ閲覧できます
【2010/02/09 22:17:07 】 | #[ 編集]
このコメントは管理者の承認待ちです
【2011/01/22 13:43:19 】 | #[ 編集]
たかたん→バンビさん

申し訳ありません。
お返事がものすごく遅くなってしまって。
その後お加減いかがでしょうか。
どのような選択をなさったのか?
その選択が間違っているとか 正解だとか、誰にも言えないんだと思うのです。
バンビさんが決断したことすべてが、結果なのですよね。
なんと声をおかけしていいか?わかりませんが、
今のバンビさんが 苦しくてもその中に、少しでも笑顔のある生活であることを
祈っています。
そして、今立っているその道の先が光り輝いている場所に続いていること
祈っています。


【2012/03/13 09:54:58 】 URL | たかたん→バンビさん #-[ 編集]
このコメントは管理人のみ閲覧できます
【2013/06/28 14:38:44 】 | #[ 編集]
このコメントは管理人のみ閲覧できます
【2013/11/17 22:28:28 】 | #[ 編集]
このコメントは管理者の承認待ちです
【2015/08/03 22:41:35 】 | #[ 編集]














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